「愛夢舎」と書いて「幸せ」と読みます N.Yくん

はじめに、声を大にして言わせていただきたいと思います。

『愛夢舎に出会えたこと自体が、私にとって幸せでした。』

私は4月から1人の社会人として歩き始めます。これからどのような世界が待っているのかという期待と、社会でしっかりと活躍できるかという不安が入り混じっているのが、今の心境です。生徒、講師あわせて7年お世話になった愛夢舎を、このたび卒業するにあたって、愛夢舎で学んだこと、感じたことを、作文としてまとめました。

人生の内のたったの7年かもしれませんが、この間であったことは、今後の私の人生にとても大きく関わってくることとなるでしょう。残念ながら長くなりすぎてしまうため、特に印象に残った一部だけの紹介となりますが、これから書くことの全ては、私の7年間で起きた実話となっています。

「家の近くに新しい塾ができるから行ってみれば?」

母のこの一言が、後に私を大きく成長させてくれる愛夢舎と出会うきっかけとなりました。

中学校1年生だった当時の自分は、某Sゼミを溜めに溜めていました。学校の成績は順調に落ちていき、450点近くあった定期テストの点数も、1年生が終わる頃には350点そこそこになっていました。しかし、こうした状況に対して焦りを感じることはありませんでした。

実は、私は当時から塾に行くということに興味がありました。勉強熱心だったからというわけでは、まったくありません。塾に行けば携帯電話を持てると思っていたのです。当時の中学生の間では、今ほど携帯電話を持っている人が、多くいませんでした。そのため携帯電話を持つことは、その物珍しさから、当時の私にとって憧れでした。どうすれば携帯電話を手に入れることができるか。考えた末、その口実として塾を利用しようと考えたのです。なぜなら、塾は家から遠い、言い換えれば、塾に行けば家に帰る時間が遅くなる、危ないから親に連絡しなければならない、つまり、携帯電話を買ってくれるだろう、そんな風に考えていました。結局、近所に移ってきた愛夢舎に決めたため、その夢は儚く散ったわけですが…。

中学校1年生の3月、ついに体験授業の日がやってきました。先ほど「近所に移ってきた」という書き方をしましたが、愛夢舎は初め、私の母校である上藤沢中学校の近くの一軒家でやっていた塾でした。私は現在の藤沢校舎ができたと同時に入塾しました。ただ、体験授業の日はまだ校舎が移っていなかったため、旧校舎である一軒家の方に体験をしに行きました。当時のことは、まだ鮮明に思い出すことができます。玄関を入ってすぐ右に行った部屋に入り、長机が3列並んだ席の一番後ろに座りました。自分の左横にはストーブがあり、今では藤沢教室の教室長である田中先生が数学の授業をしていました。また、母校の近くに校舎があったため、すでに学校で仲良くしていた友達が何人かいたことも、よく覚えています。当時受けた印象と言えば、もちろんその時の授業が楽しかったということもありますが、それよりも古ぼけた家校舎と、愛夢舎という変な名前への興味が、とても強かったです。「愛と夢を本当に与えてくれるのかなあ」という内容で、当時の合格体験記にも書いたと思います。

愛夢舎に入塾し、中学2年生、3年生と過ごしていく内に、学校の成績で悪い点数を取ることはなくなりました。定期テストでは、1回を除いて400点を下回ることはなく、100点も1度、学年評定は5教科24、9教科41にまで伸ばすことに成功しました。このような成績をキープできたのには、「一度取った点数を下回りたくない」という自分の中のプライドがあったからだと思います。しかし、これだけでは決してないと言えます。まず、自分の周りにいた同級生との戦いがあったことです。愛夢舎は集団授業の塾です。そして、同じ学校の生徒だけでなく、違う学校の生徒とも授業を受けることになります。こうした生徒をも巻き込み、「あいつには負けたくない」とお互いに高めあうことができたのが、成績キープの要因の1つになったと思います。また、このような環境を作ってくれた先生の努力があったことも、その要因の1つだと思います。うまく言葉にできないのですが、一人の生徒の成績を上げるために周りの生徒を使うという技があるのだと思います。そしてそれが、当時の自分にとって最も効果的だったと先生が気づき、実行してくれたのだと思います。これは後に自分が講師として、生徒の成績管理をする立場になってわかりました。当然ですが、全ての生徒に対してこの技が使えるわけではありません。その生徒にとってこの技が有効なのか、生徒一人ひとりの性格を見極めなければなりません。もちろん有効でないならば、別の指導方法を試さなければなりません。これらのことを、後に私も講師として実践してみたのですが、生徒の心を動かす難しさと、生徒を見極め、その技を実行できる専任の先生の偉大さに感銘を受けました。

中学校3年生の冬、私は悩んでいました。高校受験についてです。当初から所沢高校を第1志望校としていたのですが、入試前の日曜日5回分で行われる入試予想問題演習の結果を見ると、所沢北高校にも手が届きそうだったのです。当然レベルの高い高校に行けることは、悪いことではないので、所北にしてみようかと考えました。一方で、県立高校に落ちたくないという気持ちもありました。いよいよ受験という時期になって、自分自身の目標がよくわからなくなってしまったのです。この気持ちを塾長との面談でぶつけたところ、迷わず「所北受けてみれば」と言われたことを、今でも覚えています。当時は県立高校入試が前期と後期に分かれていたため、前期がダメだったとしても後期に臨むことができました。そうした背景があったから、このような言葉を掛けてくれたのかもしれませんが、私はそれだけではないと考えています。とにかく挑戦をさせようとしてくれたのだと思います。もちろん、高校入試に合格することは大事です。しかし、もう少しで届きそうなことに挑戦しないことはとてももったいないことであり、合格すること以上に大事なことだと思います。高校入試を通して、こうした挑戦することの大切さを、私に教えてくれたのだと、今でも思っています。結果として所北は不合格となり、所高へと進学することになったのですが、その時挑戦できたという勇気は、今の自分をも奮い立たせてくれます。

高校生になり、私は野球部に入部しました。小、中9年間続けた大好きな野球、そして今までテレビで見ていた憧れの高校野球、高校球児になれたということで、毎日部活に明け暮れていました。時には夜遅くまで自主練習をし、家に帰ったと思えば、疲れてご飯を食べながら寝てしまうような日もありました。こうした日々が続いたことにより、勉強の方は中学生の時のように上手くいかなくなっていました。同じ高校にいる同級生たちは、考えてみれば中学生の時に、自分と同じような成績を取っていた人たちです。そのため今までのような勉強をするだけでは、当然、成績上位になることはできません。時にはクラスの最下位争いに参加してしまうこともあったほどです。このままではまずい。そう感じるようになってからは、なんとかして成績を保ちました。そして大学受験へと臨むことになったのです。

高校3年生の夏、私は愛夢舎に帰ってきました。部活を引退し、いざ大学受験をする勉強を進めようと考えたときに、まず向かったのは、やっぱり愛夢舎でした。私はいつの日か、大学受験の時は愛夢舎に戻ると、勝手に決めていました。どうしてこう決めていたのかは、今でもわかりません。とにかく他の予備校は考えず、即決でした。今になってその時の気持ちを、もう一度考え直してみると、そこには愛夢舎の先生方の面倒見の良さがあったのだと思います。前にも書いたように、愛夢舎は集団授業の塾です。しかし、何か特別な理由のない限り、自習室が常に開いています。今までの授業でやったことの復習や、確認ができるスペースが常に確保されているのです。そうした場所を活用して、個別指導を受けることもできるのです。愛夢舎で自習室を使う際には、必ず質問を多くした方が良いと、私は思っています。愛夢舎の先生方は、「今の自分の成績を何とかしたい」とか「自分の目標が達成できるようになりたい」という気持ちが強ければ強いほど、その気持ちに答えようと努力してくれます。そして、毎回適切な指示を与えてくれます。時には先生の方から気づき、声をかけてくれます。愛夢舎の先生方は、本当に常に生徒のことを考えています。時間講師どうしで遊びに行く際にも、その移動中の車の中では、自然と「〇〇君はどうだ」というような会話がされています。今となっては2教室に分かれましたが、そうなってからも、各教室の生徒の状況を話し合う場面がとても多いと感じます。そうした、ちょっとおせっかいくらいの面倒見の良さが、私にはとても居心地がよかったのだと思います。

塾に再び入るまでにやっていた大学受験のための勉強と言えば、通学中の電車の中で英単語帳を開いて目を通すぐらいで、他は何もしていませんでした。私立の文系大学に進学しようと決めていたため、入塾してからは教科を絞り、必死に勉強をしました。英単語は、塾長が口頭試問をしてくれたのですが、8月中だけで1400単語まで終わらせました。日本史は過去問を解き、答え合わせをして、間違えた問題をとにかくノートにまとめ、二度目は絶対に間違えないよう復習をし続けました。結果センター試験では、自分の目標だった8割の点数を取ることができました。時には10点台を取ったこともあった学校の定期テストでも、3年生では80点、90点をキープするまでになりました。

こうした経験を通して気づいたことがあります。それは私が成長するときには、常に愛夢舎があったということです。この気づきによって、私の気持ちが大きく変わります。

話は前に戻りますが、私が中学生の時は、成績がそれなりだったので、周りに勉強のことを聞かれることもありました。当時の自分は、それに喜んで答えていました。また、愛夢舎で素晴らしい先生方に出会いました。こうしたことから、いつかは愛夢舎で先生をやってみたいなと考えるようになっていました。しかし高校生になると、高校での勉強に対する挫折によって、そのような気持ちも次第に薄れていきました。そうした中で、先ほどの気づきがありました。私はいつも愛夢舎に救われていました。そのため今度は愛夢舎に恩返しをしたい。そして、私のように『幸せ』になれる後輩をたくさん作りたい。そう思うようになっていきました。だからこそ塾長から「先生をやってみないか」という言葉をいただいた時は、とても嬉しかったことを思い出します。

いざ講師になってみると、それは試練の連続でした。正直なところ、私は人前で話すことが好きではありません。上手に話したり、面白い話をしたりするのも苦手です。集団で群れるよりも、どちらかと言えば一人でいる方が好きなタイプです。恥ずかしがりやで引っ込み思案な私が、いざ生徒の前で授業をするというのは、なかなか勇気のいることでした。愛夢舎では、授業をする講師となるには、専任の先生に模擬授業を見てもらい、合格しなければなりません。当時いた3人の同期は、次々に合格をしていきました。しかし、私だけなかなか合格することができませんでした。負けず嫌いな性格もある私は、その悔しさから、人知れず涙を流したこともありました。

最初に講師として授業をした時を、私は今でも覚えています。大学1年生の夏、当時の中学校1年生対象の夏期講習でした。教科は国語です。初めての授業の時、緊張して「静座始め」の声が震えていたことを、今でも思い出します。講師生活において、その半分以上で英語を担当した私でしたが、デビューした時は国語の講師だったのです。講習会の国語は、本科生であれば必ず受けることになっています。そのためたくさんの生徒がいました。しかし、普段の時は選択制となります。講習会が終わり、9月からの半年間も続けて中1国語を担当させていただくことになったのですが、当時国語を選択してくれていた生徒はたったの1人だけでした。私はもちろん、その生徒に対する授業をとにかく一生懸命行いました。一方で、愛夢舎は集団授業の塾であるため、自分の思い描いていたものとの違いを強く感じていました。ただひとつ言えることは、思い描いていたことと違ったために、塾のことが嫌になり、講師を辞めようと思ったことは、1度もありません。それは、今後卒業するまで同じ気持ちでした。根拠はありませんでしたが、自分の中で、「愛夢舎にいれば何か良いことがある」と確信していたのです。大学では、サークル活動もやらず、とにかく愛夢舎に没頭していきました。

こうして講師生活が始まり、そろそろ2年目の準備をしようとしていた2月、私にある話が来ます。「入間市教室ができる。そして初期メンバーとして活躍してほしい。」これが私の転機でした。新しい教室を一から作り上げるという経験は、なかなかすることができません。そのためとても興味のあることでした。今の教室が完成する前の部屋の様子を、何度も見に行きました。何もない状態から壁ができ、カウンターが設置され、机やイスが入り、だんだんと教室らしくなっていく姿を見ながら、ここで働く自分のことを考えると、とてもワクワクしていました。同時に、入間市教室の発展のために自分ができることを全てやろうと決めていました。

入間市教室を発展させるために、私ができることとして一番力を入れたことは、生徒の成績を管理するということでした。私にとっての成績管理とは、点数を取らせるということです。今まで高得点を取れていた生徒の点数は、何が何でもキープし、勉強が苦手だと感じている生徒に対しては、1度でも何かしらの形で良い点数を取らせ、2回目以降はその点数を下回らせないように指導しました。そうすることで、点数を取るということをクセにし、各教科の点数に対するプライドを、生徒の中に作り出すことが狙いでした。この時、私が気を付けていたことは、無理に生徒の苦手を得意にしようと思わないことです。一度ついてしまった苦手意識というのはなかなか取れるものではありません。ただ、苦手と点数が取れないは別だと、私は考えています。どんなに苦手な教科でも、点数を取らなければならない場面は必ず出てきますし、逆に得意と思っている教科でも、点数が取れなければ意味がありません。そのため、苦手なら苦手なりに点数を取れる努力をしてほしいと思っていました。その結果として、嫌いな教科でもなぜか点数が取れてしまうということを目標にしていました。私は主に英語を担当したのですが、試験対策として、自作プリントを使って指導することもありました。英語学習において単語の知識はなくてはならないので、単語のプリントを作ったりもしました。そしてそれを、毎回テストしていきました。なかなか覚えられないと嘆いている生徒には、その覚え方まで指導することもありました。またある時には、英語をメインとして指導している講師にも関わらず、国語や社会、数学まで指導することもありました。結果として、英語の定期テストでは、ほとんどの生徒が80点以上を常に取ってきてくれました。90点以上の数も両手、両足では収まらないでしょうし、その内100点満点や99点は何回もありました。こうした結果が出たのは、もちろん生徒の頑張りがあったわけですが、生徒たちの頑張ろうという気持ちにとにかく答えたいという一心で、一生懸命にやった成果だと私は考えています。こうした気持ちは、私が生徒の時に感じたものと同じでした。

最後に、こうした経験を通して私が学んだいくつかのことを書いて、作文のまとめとしたいと思います。

私の性格を考えれば、正直講師をいうものにあまり向いていない人なのだと思います。今でも高校の友人に会えば、「吉田が先生かよ」と驚かれます。しかし、そんな私がモチベーションを高く保つことができたのには、いくつかの要因があったのだと考えます。

まずは、今まで育ててもらい、そして講師として働かせていただけることになった愛夢舎に対する恩返しがしたいという気持ちがありました。また、せっかく講師をするのだから、ほかのどの講師よりも結果の出せる講師になってやろうという気持ちでした。自分が生徒の時に感じた専任の先生方に、少しでも追い付けるように努力する一方で、こうした先生方を超える存在になりたいとも思い、こっそりライバル視をしていました。

次に、報酬をより多くもらえる講師になりたいと考えていました。報酬として一番イメージがしやすいものと言えば、お金だと思います。急にお金の話となると、汚い話に思われるかもしれませんが、こうしたお金に対する考え方を、塾長は特に話してくださいました。自分が仕事をした対価として、お金はもらえるものです。さらに稼ぐには、報酬をより多くもらうことも、一つの方法です。私は「お金を稼ぐこと」=「報酬を多くもらうこと」だと考えています。そのため、報酬をより多くもらうために、できることは何かを考えながら、常に日々の講師生活に取り組んでいました。もちろん報酬とは、お金だけではありません。自分が面倒をみた生徒が、少しでも良い結果が出し、「ありがとう」という言葉がもらえれば、それも大きな報酬であると、私は考えていました。今の自分があるのは、「ありがとう」をもらうために自分ができることは何かを、常に頭の中に想像しながら毎日を過ごせた結果だと思いますし、何よりもこうした考えを教えていただいた塾長のおかげでもあると思います。

最後に、私は講師としてプロであるという気持ちを常に持っていたことも、その要因であると考えます。ここで言うプロとは、例えば英語の講師だから、英語が非常に良くでき、英会話も完璧ということではありません。(もちろんそれが理想ではあると思いますが。)「プロである」ということは「お金をもらっている」ということです。この考えは、鎌田教室長から教えていただきました。大学生のアルバイトとして講師をやっているわけですが、生徒から見れば先生ですし、実際に先生と呼ばれる立場なのです。中には、アルバイトとして塾の講師をすることができるということを知らない生徒もいます。そうした状況の中で、プロとしてしなければならない「あたりまえ」を考えれば、自然とするべきことが見えてくると私は思います。せっかく愛夢舎の講師となれたのです。そのため愛夢舎の講師でしかできないこと、プロの愛夢舎の講師としてできる最大限のことをやろうと、常に考えていました。こうした考えは、一人ひとり違って当然だと思います。私はこうした考えを基に、自分の軸を作り、自分にとっての「あたりまえ」の基準を高めることで、自らの成長に繋げることができました。

これらのことから、愛夢舎の専任の先生方は、愛夢舎の講師を1人の社会人として扱ってくれるということがわかると思います。普段から授業のスキルアップの指導をいただくことはもちろんですが、社会に出てからのことなど、授業以外のことも、多く教えていただきました。私はこれが毎回楽しみでした。こうした経験は、他のアルバイト先や塾ではなかなか教えてもらえないことなのかもしれません。言い換えれば、これこそが愛夢舎の強みなのだと思います。授業以外のことで教えてもらったことは、今すぐ役立つかはわかりません。しかし、この先の人生で必ず役に立つことになると思います。愛夢舎は、私たちの未来をも見据えた塾なのかもしれません。愛夢舎と関われば、きっと幸せになれると信じています。

そのため今、愛夢舎と関わる人たち、これから愛夢舎と出会う人たちに私から言えることは、愛夢舎で生活している「今、ここ」に必死になってほしいということです。愛夢舎での生活にのめりこんでほしいということです。愛夢舎の熱狂的なファンになるという言い方がわかりやすいかもしれません。自分が将来なりたい姿を思い浮かべるのは大切なことです。幸せになりたいと願うことは大切なことです。「願えば叶う」という言葉があります。愛夢舎に関わる人は必ず耳にしたことがあるでしょう。しかし、あたりまえですが、願うだけでは叶いません。願い、それに向けて行動することで、叶うのです。将来自分がなりたい姿、志望校、定期テストの点数、何でも良いです。まずはその姿を思い浮かべてください。そしてその姿に近づくために今できることに、全力で取り組んでください。愛夢舎の専任の先生方は、必ず答えてくれます。

中には、そのような姿を想像することができない、将来何になりたいかわからないという人もいるでしょう。正直私もそうでした。それでもぜひ、愛夢舎での毎日の生活に一生懸命になってみてください。こうした経験は、私の就職活動において大きく生きました。愛夢舎の講師として自分の経験してきたこと、考えたことを、ありのままに伝えていきました。のめりこんだからこそ、あまり考えることなく伝えることができました。結果として、自分が本当に行きたいと思える会社に、内定をもらうことができました。就活の最中、最も印象的だったことは、面接官の方に「アルバイトなのに社会人みたいなことをしているね」と言われたことです。この言葉をいただいた時に、「愛夢舎でやっていて良かった」と心から思うことができました。

もう一度言います。愛夢舎に関わったのなら、ぜひ愛夢舎にのめりこんでください。時間講師だけでなく、生徒たちにも言えることかもしれません。愛夢舎で、「今、ここ」を大切にして、毎日を過ごしてみてください。必ず幸せになります。

愛夢舎で学んだこと、感じたこと、経験したことは、まだまだたくさんあります。最終的には、サマーキャンプを除く全てのイベントにも参加させてもらいました。それら全てについて、書きたいところではあるのですが、今回はここで終わりとさせていただきます。私は愛夢舎に、生徒として3年、講師として4年の、計7年お世話になりました。初めて愛夢舎と出会ったときには、こんなに長くお世話になるとは想像もしていませんでした。しかし、今となっては、愛夢舎に出会えて本当に良かったと思っています。はじめにも書いたように、人生の中のたったの7年間かもしれませんが、私にとってこの7年は、本当にかけがえのないものとなりました。

特に思い出として残っているのは、入間市教室で過ごした3年間です。時間講師として唯一、開校してから卒業までの3年間、入間市教室専属の時間講師を務めさせていただけたことは、私にとっての誇りです。この3年間は、本当にいろいろなことがありました。なかなか生徒数が増えずに悩んだこと、成績の管理、責任、生徒が増えすぎて逆に混乱してしまったこと…。これらの一つ一つが、今でも目の前に浮かんできます。そして何より、たくさんの生徒に出会えたことが、一番の思い出です。教室ができて初めて来た生徒、私が新教室の初授業で初めて担当した生徒、卒業していった生徒、時には厳しく接した生徒、合宿で叱った生徒、プレゼントをくれた生徒…。いつ、だれが来たかを、今でも思い出せる自信があります。それくらい私にとって、何にも変えられない非常に密度の濃い3年間だったと今、実感しています。それと同時に、これからも5年、10年と続いていくのであろう教室の今後と、担当した中1、中2の生徒たちの卒業に、現場で立ち会えないことを寂しく感じているのが正直なところですが、こればかりは仕方のないことです。彼ら、彼女らの幸せの一部を、私は作れたのでしょうか。そのことはきっと、彼ら、彼女らの中でしかわからないことなので、私はあえて考えないようにしておきます。そしていつか、どこかで縁があり、彼ら、彼女らに再会することがあれば、そこで幸せなエピソードを聞けたら嬉しいと思います。

長文になりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。私に生徒を任せていただいた保護者の方々、ありがとうございました。愛夢舎を見つけてきてくれた親、愛夢舎で一緒に戦った同級生、ありがとうございました。講師生活を共に過ごした同期の先生、時に意見がぶつかることもあった先輩の先生方、これからの愛夢舎を背負う後輩たち、ありがとうございました。そして何より、塾長をはじめとする専任の先生方、鎌田教室長をはじめとする入間市教室の先生方には、本当にお世話になりました。深くお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。2月の末で愛夢舎を離れ、4月から社会人となるわけですが、今までとは違った形でも、愛夢舎に恩返しができるよう、努力していきたいと思います。愛夢舎の今後の発展を願いまして、卒業の作文とさせていただきます。

N.Yくん 2010年度卒業生 2014年~2017年 上藤沢中学校~所沢高校~東洋大学~エームサービス株式会社

幸せ作文 H.Oくん

愛夢舎をこの春に卒業し、4月から社会人になります。愛夢舎で生徒として中3、高2・3での3年間、講師として過ごした4年間は自分にとってかけがえのない経験であり、思い出です。私の人生はもはや愛夢舎なしでは語れないものになりました。そんな愛夢舎に感謝を込めて、私が6年間の愛夢舎生活を通じて得た経験、そして想いをこの作文に綴りたいと思います。

私が中学3年のとき、愛夢舎と出会いました。当時は下藤沢の小さな家に愛夢舎はあり、先生方も親身だったので、第一印象はとてもアットホームでした。野球部で野球に打ち込んでいたので、塾にはそれまで行っていませんでした。成績も内申28程度で、決して勉強ができる方ではありませんでした。そんな野球バカだった自分を勉強に振り向かせてくれたのが愛夢舎だったのです。愛夢舎に行く前の自分の志望校は自分の成績よりも上の川越南高校で、それ以外何も考えていませんでした。しかし、三者面談で塾長に「所北にチャレンジしてみないか」と言われました。なぜかその時自分は「お前は勉強ができる」と認められた気がして、それが嬉しくて軽い気持ちで挑戦してみようと決心することができました。普通だったら川越南高校ですらチャレンジ校と言ってもいい成績でしたが、その高校のさらに上の所沢北高校を目指すことはまさに大チャレンジでした。その大きな目標が自分の勉強をするモチベーションになったのだと思います。2学期が終わる頃には、28だった内申を40まで上げ、北辰の偏差値も10あげました。そして所沢北高校に受かることができたのです。クラスで平凡な成績だった自分が、まさか所沢北高校受かったと思うと自分にとってはとてもミラクルです。しかし、塾に合格の報告をしにいったとき、塾長に「お前が受かるのはわかっていたよ」と言われ、愛夢舎の先生にとっては奇跡でも偶然でもなくて必然だったのだと感じました。そのときこの塾に入ることができてほんとによかったと実感したのを覚えています。よく目標は高ければ高いだけいいと言いますが、まさにそれを高校受験で実感できました。その体験は塾長があのとき「所北にチャレンジしてみないか」と言ってくれなければ実現しなかったものであり、平凡だった私にそう言ってくれたことにとても感謝しています。

高3のスキー旅行で塾長にアルバイト講師をやってみないかと誘われました。受験でお世話になった塾で働くことは、私にとってとても光栄なことで、迷わず働くことを選びました。そしてチューターとして雇われ、やがて授業を持つようになりました。No1講師なることを目標とし、授業を行いました。今だから言えることですが、授業はひどいものだったと思います。伝えたいことが上手く伝わらない、生徒は授業を聞かないそんなことが続きました。そうしているうちにアンケートの結果が出ましたが、結果はNo1講師の評価にはとても届かないものでした。目標も何も達成しない中途半端な状態で、2年生のときに半年間アメリカへ留学に行きました。アメリカでの生活は日本のそれとは違い、新鮮な衝撃の連続でした。そして帰る頃には自分の中で塾の存在は薄れていました。なかなか上がらない評価にうんざりし、塾から逃げたかったのかもしれません。塾長に「塾を辞めて、趣味の映画を活かしたいからTSUTAYAでアルバイトをしたい」と告げた時には、塾長と口論になりました。後日談ですが、あのときの私は本当にアメリカナイズされていて、相当むかつくやつだったそうです(笑) しかし、この口論が自分の人生のターニングポイントと言っても過言ではない出来事でした。これがきっかけで自分は愛夢舎の仕事についてもう一度考え直すことになりました。その時自分を助けてくれたのは、同期のM先生の次の言葉でした。「なんで愛夢舎でアルバイトを始めたの?」それを聞かれたとき、返答することができませんでした。そしてM先生は続けて、「俺は何かいいことがありそうだからこの塾で働いている」と教えてくれました。私はこの言葉で腑に落ちることができました。「そうか俺は何かを得にこの塾で働いているのだ」と。愛夢舎ははっきり言って勉強を教えるだけの塾ではありません。「将来幸せになるための知識」を教えます。それは具体的に言えば、人として守るべきマナーやコミュニケーションの仕方など、社会に出たときに必要な能力です。他にも人生の考え方や幸せとは何かについても語ります。それを中学、高校と学んできた私にとって、アルバイトをすること決意したのは、まぎれもなく「将来役に立つ能力、幸せになるための知識を身につけられる」と考えたからに違いありませんでした。そう気づいたとき、アメリカナイズされ、塾をやめようとしていた私はいませんでした。「この塾で一生懸命やろう。そうすれば必ず将来幸せになれる。」そう確信したのです。単純ですよね(笑) その決断を塾長は歓迎してくれました。笑い話ですが、TSUTAYAのアルバイト面接には実は3回も落ちました(笑) そのとき落ちたのも運命だったのではないかと(笑) そして二度目の講師生活が始まりました。それからは人が変わったように、「行動は考えを凌ぐ」をモットーにし、ひたすら授業の改善を繰り返しました。また、塾の行事へ積極的に参加し、一つでも多くのことを学ぼうと専任講師や先輩と話す機会があれば必ず参加しました。自分でもこの時自分の変わりようには驚いています。そうゆう風に自分変えさせてくれる環境が愛夢舎にはあったのだと思います。その結果生徒の授業アンケートの評価がみるみる上がった!と言いたいところですが、それほど上がりはしませんでした(笑) しかしそこで諦める自分はもういませんでした。その都度、専任講師や先輩講師にアドバイスをいただき、少しずつ少しずつ改善をしていきました。その姿を評価していただき、大学3年の後半には時間講師副リーダー、大学4年時には時間講師リーダーを任されるようになりました。授業も週8コマ(週4)持つようになり、いよいよ責任も大きくなりました。不安でいっぱいでしたが、自分を試せる機会が増えたと思うとワクワクしたことを覚えています。大学4年生ですので、就職活動と掛け持ちしながら塾の授業にも全力を尽くしました。この時期の生活は本当につらいものでした。朝は就職活動で夜は塾で授業、それの繰り返しで、両方全力で取り組んでいたので身体的にも精神的にもくたくたでした。ですので、自分のようなこの状況は他の人はお勧めできかねます。しかし「この塾で一生懸命やろう。そうすれば必ず将来幸せになれる。」という想いが、自分を突き動かしていました。そうこうしているうちに夏期講習が終わり、8月の終盤頃、某大手自動車メーカーから内定をいただくことができました。面接で話したことは、3割大学の話、7割塾での話でした。そして面接での話し方や振る舞い方は、すべて愛夢舎での生活を通して学んでいたので、全く苦ではありませんでした。そう考えたとき、愛夢舎で働いてよかったと心から実感しましたね(笑) もしあのときTSUTYAに行っていたら…(まぁ行けませんでしたけど(笑))9月になると研修を終えた新人講師に授業を譲り、週6コマ(週3)になり、就職活動という負担も消えたので塾に専念できました。そして、ついに12月のアンケートでは、中3の「授業がわかりやすい」で100%を取ることができました。今までの努力がやっと実ったと感じる瞬間でした。そして3月を迎え、教え子はそれぞれの進路に進み、私も愛夢舎を卒業しました。

本当に様々なことがあって、もっと細かく学んだことをここに書きたいのですが、それは愛夢舎で学んでほしいと思っています。だからこそ、愛夢舎の1人として最後に私が伝えたいのは、「愛夢舎を信じて、目の前の課題に一生懸命取り組んでください」ということです。実は去年卒業されたR.K先生と言っていることがほとんど同じなんですよね(笑) やはり同じ空気を吸ってきた愛夢舎チルドレンは、同じような考え方になるものなのですね。しかし、愛夢舎の一員になるのであれば、どうしてもこれだけは伝えておきたいです。「愛夢舎を信じて、目の前の課題に一生懸命に取り組んでください」重要なので二回書きました(笑) そうすれば必ず『幸せになれる』と考えています。最後だったので偉そうなことをいろいろ書かせていただきましたが、本気で私が考えていることです。この作文を『幸せ作文』と名付けたのは、愛夢舎に関わった人が1人でも多く『幸せ』になって欲しいという想いを込めてです。すでに愛夢舎に一員である人、これから愛夢舎の一員になる人、私の書いたこの想いが1人でも多くの方に届いてくれると嬉しいです。

この場を借りて、私を支えてくれたすべての愛夢舎の専任講師の先生方、時間講師、生徒、保護者様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。これから私は愛夢舎を出て、社会人になりますが、愛夢舎で学んだことを糧に歩んでいきたいと思います。こんなに長い作文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

H.Oくん 2009年度卒業生 2013年~2015年(2015年度時間講師リーダー) 向原中学校~所沢北高校~明治大学~(株)スズキ自動車

僕と愛夢舎 R.Kくん

僕は、4月から晴れて社会人の仲間入りをします!!

ありがたいことに、就職活動をしていく中で本気で『行きたい』と思った会社で働けることにとてもワクワクしています。もちろん10年ほど前は、このように大きな会社で仕事ができること、そして『愛夢舎』という場所がこんなにも大きな存在になることも想像していませんでした。

中学3年の夏。その時の気持ちを鮮明には覚えていませんが、それまで頑張ってきた野球が終わり、受験生になるという実感もわかなかったその時期に、母親がある塾の名前を出しました。とりあえず見学に行ってみるか。くらいの気持ちで体験に行きました。それが僕と『愛夢舎』との出会いです。

愛夢舎では、中学(3年)・高校(2・3年)は受験生として、大学(1∼4年)は講師としてお世話になりました。この約7年間たくさんのエピソードがありました。そのすべてを書いているときりがないので、いくつか思いつくがまま書いていこうと思います。

中学3年の秋。一生忘れないであろう人生のターニングポイントがありました。愛夢舎では、中学3年生を対象に三者面談があります。その三者面談まで、僕の志望校は所沢西高校でした。志望理由も特になく...。そして自分、親、塾の三者で話し合う三者面談が始まりました。7年も前のことなので何を話したかはほとんど覚えていません。しかし、塾長の言った「所西に行くなら塾やめれば?塾やめても君なら受かるから。」という言葉は忘れません。親の前で、しかも、塾に入って数か月、これから頑張るぞ!と思っていた矢先だったので、イラッっとしました。(正直、これも今だから言えます。)しかし、この一言が負けず嫌いだった僕に火をつけました。流行の言葉でいうと、やる気スイッチを押された言葉でした。面談中「大学に行きたい」という旨を伝えると、「所沢高校以上に行け」と言われ、偏差値50弱だった僕が、中3の秋であるにもかかわらず、志望校を所沢高校に変えたのです。志望理由は、自主自律という校風に共感した。というのは表面上で、本当の理由は、「塾長に言われた通り受かりましたよ。所沢高校!」とドヤ顔で言うためです。

この面談をきっかけに、再び目標に向かって走りだしたのです。

そして、伸び悩んでいた偏差値もこの面談をきっかけに11・12月の北辰で一気に上がり、チャレンジ校で受験した狭山ヶ丘高校に合格し、第一志望だった所沢高校にも合格することができました。

そして塾長にドヤ顔で「受かりました!」と言えました。

高校受験のことは、当合格体験記として当時の僕がその時思ったことをもっと具体的に書いているので、もっと詳しいことは是非愛夢舎にある合格体験記集を見てください。

高校に入学し、一度愛夢舎を卒業して再び野球に燃えていました。学校のテストは、クラスのビリ争いに参加していました。

そして高校2年の秋。愛夢舎に再び戻ってきました。

この時、予備校に行かずに愛夢舎に戻った理由は覚えていません。多分、愛夢舎なら今の僕を受け止め、何とかしてくれるだろう。と他力本願な気持ちだったと思います。そしてここから愛夢舎での大学受験が始まりました。大学受験は、高校受験とは比にならないくらい勉強しました。

しかし、結果は、第一志望の芝浦工業大学には落ちました。この時は、高校受験の時とは全く逆の気持ちでした。

大学受験の厳しさを痛感しました。

そして、唯一合格していた工学院大学建築学部に進学することを決めました。

高校の卒業式の帰り、僕は愛夢舎へ立ち寄りました。今までの感謝の気持ちを伝えるためです。お世話になった先生方全員に私がお礼を言うと、突然塾長から「塾の先生やってみない?」と言われました。

思わず「え?」と言ってしましました。僕なんかに授業とかできるわけがないでしょ。と心の中で思いました。が、それ以上に面白そうという気持ちもあったので、やってみることにしました。ここから、講師としての愛夢舎ライフが始まりました。はじめに言っておきますが、今思うと、受験生として通っていた時より、講師として働いていた時のほうがより多くのことを学び、より自分が成長したと感じています。ですからエピソードは無限にあります。とにかく、毎日がエピソードだらけでした。今では、愛夢舎は大きくなり、大学生の時間講師がたくさんいます。しかし、僕が講師として働き始めた時は数人の時間講師の方しかいませんでした。これといったライバルもいなくて、1年目は授業を持たずチューターとして、勤務時間に塾に行き、勤務時間中は自習室にいる生徒の質問に答え、勤務時間が終わるとすぐにタイムカードを打って帰宅する。という働き方をしていました。正直この1年は、塾長のいう「時間の切り売り」的な働き方をしていました。

そんな風に、特に新たな発見もなく1年を過ごした僕に、新たなターニングポイントがやってきました。この塾で一緒に大学受験を戦った仲間が1年の浪人生活を終え、講師として愛夢舎に現れました。

久々の再開で、彼といろいろな話をしました。その中で、僕を変えた会話がありました。

 

僕「そもそも、なんで塾でバイト始めたの?他にバイトもしてるんだからそっちで稼げるでしょ!」

彼「え、別にここで働くのはお金のためじゃないし。」

僕「え?じゃ、なんで愛夢舎でバイトするの?」

彼「愛夢舎で働くのはこれからやくにたつことをたくさん教えてくれそうだから。」

「ここで働けば絶対いいことあると思って。」

この会話も三者面談の塾長の言葉同様、一生忘れないと思います。この時、同じ年なのにすごいこと言うんだな彼はと思いました。確かに愛夢舎で本気になって働けば絶対いいことあるは!と自分自身考えさせられました。

 

この会話に出てきた彼こそ、講師時代、僕が勝手にライバル視していたM先生です。

彼は、現在、入間市校の中心メンバーの一人です。彼と出会えて、一緒に働けたことが今の僕をつくっているといっても過言ではありません。彼の一言で、僕は働き方を変えてみました。まずは、レギュラー授業を持つことを決心しました。まさか僕が専任の先生方がやっていたあの授業をやることになろうとは思ってもいませんでした。むしろ、生徒や保護者に迷惑をかけるのではないかという不安もありました。しかし、愛夢舎はそんな僕の挑戦を快く受け止めてくれて、ついにクラスを担当することになりました。今でも最初の授業のことは鮮明に覚えています。授業のはじめ、黒板に書いた「計算」の「算」の漢字が間違えていて、生徒に指摘され頭が真っ白になりました。これが僕の最初の授業です。それから約2年間。授業のことで悩み、時には授業のことや生徒のことで涙することもありました。しかし、新たな発見もあり日々成長していたと思います。

今では、授業アンケートでわかりやすいが100%をつけてもらえる授業ができるようになりました。また、1年目はイベントごとにほとんど参加していませんでした。しかし彼(M先生)の言葉を聞いてからは積極的に参加するようにしました。

そして今年の正月特訓で中3の数学の授業を担当したことで愛夢舎のすべてのイベント企画に参加したことになりました。

正直これは僕の自慢です。そして、すべてのイベントに全力で参加したことが、今の僕の大きな経験になっていると自負しています。1つ1つのイベントについても書きたいところですが、長くなってしまうので今回は省略させてもらいます。

そして約7年間、愛夢舎で学んだことが大きく活きたと感じたのが、就職活動です。

それまでは、目の前のことを全力でやることが精一杯で、それまでの自分の人生を改めて振り返ってみたこともありませんでした。しかし、エントリーシート(履歴書)を書くにあたり、自分の歩んできた人生を初めて振り返ってみました。そうすると面白いことに、僕の今までの人生は、『挑戦』の2文字に集約できました。今までの話の中でも、基本的に僕の行動の始まりは「とりあえずやってみよう」だったと思います。そして、やってみようと思ったからには全力でそれをやってみる。その一瞬の判断が新たな発見・成長につながっていたのだと思います。そんな、『挑戦』するきっかけをつくってくれていたほとんどが、両親そして愛夢舎という塾でした。それも、イベントが多い愛夢舎だからこそ、これだけ成長させてもらったのだと思います。このことは、先日の出陣式で生徒に話しました。以下がその一部です。

 

今、目の前にあるものに全力で取り組んでみてください。

人生は山登りに似ていると思います。

 

山を登るとき、どうやって登るでしょうか。それは、足元を見ながら歩くと思います。そして道がぬかるんでいたり、細くなっていたら一歩一歩より慎重に歩くと思います。始めから山頂ばかりみて歩く人はいないと思います。山頂ばかり見ていたら足元の問題に気づかないはずです。そして、ふとそこから見える景色を見た時、とてもきれいで感動すると思います。そこで、山頂についたらもっといい景色なんだろうな。と思いそこからまた頑張れるはずです。これは、人生も同じだと思います。だから、皆さんも、目の前にあることに全力になってみてください。そうすれば、きっといい景色が見えると思います。僕もまだ、山を登っている途中です。そして、ちょっと景色を見てみたらとてもいい眺めでした。皆さんも見てみたくはないですか?という言葉をかけました。まさにこれが愛夢舎で学ばせてもらったことだと思います。逆に言うと、愛夢舎という塾は、生徒の未来のことを考えて指導してくれているのだと思います。だからこそ、生徒は目の前のことに、より全力になれるのだと思います。そして、僕のように大きくなって愛夢舎のすごさに気づく人は多いと思います。

ただし、それも全力で愛夢舎を使った人に限ります。

愛夢舎を思う存分使ってみてください。

 

僕は、ひとまず今年の二月で現在担当している中三Bクラスの生徒と共に愛夢舎を卒業します。しかし、僕と愛夢舎の関係は一生続けていきたいと勝手に思っています。長くなりましたが、正直まだまだ書きたいことは山のようにあります。しかし今回はこれで終わらせて頂きます。読みづらい文章ですが僕の気持ちが伝っていれば幸いです。

最後に、家族をはじめとする、愛夢舎の専任の先生方、時間講師、生徒、保護者様、かかわった全ての人に感謝しています。ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。

R.Kくん 2008年度卒業生 2012年~2014年(2014年度時間講師リーダー)向原中学校~所沢高校~工学院大学~(株)竹中工務店